2011年5月2日月曜日

京都 御所内の自転車道


御所の中は細かな砂利が敷き詰められている。

風情ではあるが、自転車などで通行するには走りにくい。


ところがそんな御所内に、長年近隣の人達が走りに走った自転車の通った跡がシュパーっと続いている。

そこは、砂利が掃き清められたかの様にスムーズに走れるので、みんな同じ所を走る。


これは知り合いの言い分ですが、『普通に砂利の上を走るのは、タイヤが捕られ危ない』 『砂利の上を自転車を押して歩くと重い』 『この道が動線が良い』等でした。

この動線が良いと言うのは、東側から西側に抜ける時、どうしても門から門の最短ルートを通るのでこのような道が同じところに出来上がるというわけです。

現に御所内すべての道に、この自転車道があるわけではない。


おそらく近隣の人達が通勤・通学につかったり、近所の買い物に行ったり(御所から北東にある出町商店街とか)、駅に向かう人(京阪出町柳駅とか)に利用するのでしょう。

そんな自転車の通った跡が付くぐらい、頻繁に往来があるのでしょう。


だから、この自転車道を徒歩の人がしんきくさく(京都弁でゆっくり、ノロマの意。
大阪だとしんきくさいは、ダサい、地味、田舎っぽいなどの意でしたので隣の町でも意味が違う言葉に最初ビックリしました)歩いていると、自転車おばはん等がベルを鳴らしながら『ちょっと~! どいてんか~!』てな感じで、爆走して来るのである。

基本、関西では積極的に自己アピールし、他の人より優位に立たないと損!
じっとしていたり、ウジウジして恥ずかしがっていたら負け!

という精神で動くので、自然にみんな『大きな声』『元気』『活気』『前に前に』といった、イメージの人になっていく。

この精神(スキル)は、よく言うとバイタリティがあるといえる。

しかし、関西圏以外の人に言わせると『恥ずかしい』『がめつい』『自分勝手』などに映るのかもしれない。

観光客が多い京都に住む人達は、そういった回りの目を気にするのは、必要だろうとう思う。
御所には小さい子供連れの家族も来るのですから、歩行者優先ですよ。


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